<五平太ばやしの由来>

 

その昔、肥前の役人、五平太なる人が燃える石を発見し、人々はこれを大いに利用し「五平太」「五平太」と石炭のことを呼びならわしておりました。

筑豊炭田の石炭は、近代日本の産業エネルギーとして膨大なる産出量を誇り、その輸送は「川ひらた」と呼ばれる小さな船で「遠賀川」の水運、その支流「堀川」を経由して洞海湾・若松港まで運ばれていました。(この船を五平太船とも言っていた。)

 かって若松港は、日本一の石炭積出港として隆盛を極め、石炭商社・海運会社・大手銀行・出船入船の機帆船、汽船の群で活気溢れ、港には弦歌さんざめく歓楽街、正に男の街、エネルギッシュな石炭景気で沸き上がっておりました。

 そんな背景の中から若松の郷土の作家、故火野葦平先生の名作「花と龍」が生まれ何度となく映画やテレビロケが行われ、全国に紹介されてきました。

五平太ばやしは、英彦山を源とする遠賀川・堀川を往来する川ひらたの船頭衆が、激しい仕事の合間、弁当の一服や水門の順番待ち、風待ち、潮待ちの折り、川ひらたの船縁を叩きはやしながら、流行り唄や民謡を口ずさんだのが始まりです。

 鉄道が敷設され貨物列車で大量に輸送されるようになると、必然的に川ひらたの命運もつきることになり、船頭衆達は、石炭荷役の仕事へと転換してゆくのですが遠賀川につながる「川筋男の意気や気っ風」は、今に受け継がれ五平太ばやしのかん高い木樽の音や、爽快なリズムの中に脈々として生きています。

 太鼓の本調子・伴奏そして歌、踊りと動きも多彩でステージ出演から叩き歩きをしながらのリズミカルな太鼓の音色は、人の気持ちを浮き立たせてくれます。

毎年7月下旬には五平太ばやしを中心に若松のみなと祭りが繰り広げられ、各団体・企業・商店街・子供会、官庁からのチームが、それぞれのまつり衣装と五平太船を押し出し、太鼓を叩きまくり、巷に繰り出します。

過去の良き時代を懐かしむばかりでなく、明日の郷土の活力を願って五平太ばやしは、郷土芸能として受け継がれていくことでしょう。